ブランコを譲らなかった子の、その後
後日、その3年生の子が、また私に話しかけてきました。
放課後教室には、
「来たらまず宿題を終わらせる」
というルールがあります。
でもその子は、学校のタブレットで、ゲームのキャラクターを検索していました。
そして嬉しそうに、私に見せてくれたのです。
もちろん、学校のタブレットで勉強以外のことをするのは禁止されているはずです。
本人も、それを知っています。
だからこそ、周囲を気にしながらやっている。
さらに、遊びの時間になると、
今度は放課後教室ではない別の子と一緒に、校庭の端の草むらへ行き、
家から持ってきたお菓子を食べていました。
隠れてやるということは、
「いけないこと」だと分かっている、ということです。
私はその姿を見ながら、
子どもは、“善悪が分からない” のではないのだと思いました。
むしろ逆で、
分かっている。
分かっている上で、やっている。
では、なぜなのか。
もちろん、ルールは必要です。
ただ、「ダメ」と言われるほど、
その行為自体よりも、
“禁止を越えること” に意味が生まれてしまうことがあります。
見つからないようにやる。
仲間と共有する。
大人の目をかいくぐる。
そこに、スリルや一体感、自分なりの自由を感じることもあるのでしょう。
コーチングでは、
行動をすぐに矯正しようとする前に、
「その行動が、その子にとってどんな意味を持っているのか」を見ようとします。
注目されたかったのかもしれない。
誰かとつながりたかったのかもしれない。
“悪いことをする自分” を演じることで、自分の立場を作っていたのかもしれない。
もし、行動だけを見て
「またルール違反だ」と関われば、
その子はさらに“対立する側”へ行ってしまうかもしれません。
もちろん、だから放置していいわけではありません。
境界線は必要です。
でも同時に、
その子が本当に求めているものは何なのか。
そこに目を向けることも、大切なのだと思うのです。
子どもの問題行動は、
「困った行動」である前に、
何かを伝えようとしているサインなのかもしれません。

